はっぴぃソフィエル🌈always with you!

天使👼大好き主婦が日々の出来事をつづります。

がんと向き合う⑥ 手術そして入院の日々


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”はっぴぃソフィエル🌈"にようこそ♪

 

 

がんと向き合う⑤のつづき

 

2月4日火曜日、立春
エネルギーが切り替わるこの日に受けられるのも意味のあること。新しいワタシに生まれ変わろう。
11時前にはオットと娘、息子が病室に来てくれた。
手術は13時からだけど、付き添いの看護師さんに連れられて11時過ぎには手術室へ。

そのあとを家族がついてくる。


いよいよ手術室に入るときに、まず娘から、そして息子、オットと、ぎゅっとハグをした。
ありがとう。必ず戻ってくるからね。
成人した子供たちをハグするなんて、我が家ではこんなことでもないと機会はないなぁ。
いい思い出。
付き添いの看護師さんが
「仲いい家族なんですねぇ~」
と言った。
そういうことになるのかな?
「ご主人が一番うれしそうでしたよ」
と言って笑わせた。

 

手にすっぽり入るクリスタルと、妹が送ってくれた柴又帝釈天さんのお守りを、手にしていた。
手術中それを握っていいことになっていたが、多分落としては、とすぐ外してくれたのではと思ってる。事実はわからないけど。
ベッドは意外と狭かった。
手術室の緊迫した空気を感じた。
背中から麻酔注射を丁寧に入れられ、酸素マスクをかけられたらすぐに意識を失った。


気がついたら薄暗い個室にいるのがわかった。
生きてるね。あ~よかった。
頻繁に看護師さんが様子を見に来てくれる。
身体の体位を変えてくれる。水も口に含ませてくれる。飲めないので口を潤すのみだが。
下肢の静脈が詰まらないようウィーン、ウィーンとマッサージ器が動く音がする。
うとうとしながら、結構よく寝たようだ。

 

目が覚めたら翌日の昼。
「お部屋に戻りますよ~」とベッドごと移動した。
しばらくしたらリハビリの先生がいらした。
え、もう? 確かに手術翌日からリハビリするって言ってたけど。
栄養剤点滴と背中から入れてる痛み止めの点滴と尿道管を付けてスパゲティ症候群みたいな私が?
介添えしてもらい立ち上がり、ゆっくり歩き始める。
ものすごく気分が悪い。かろうじて10歩くらいバーにつかまりながら歩いて、また病室に戻る。
「よく頑張りましたね」。
ベッドに横になった途端気持ち悪くて戻してしまった。
さすが看護師さん、トレイでさっと受け止める。
それはかなりの量の血のりだった。頭がぐるぐる回って意識を失いそうだった。
「やばいやばい」。
このまま死ぬかと思った。
T先生が見えた。
「胃の中に血が残っていたみたいですね。大丈夫ですか?」
答える余裕もなかった。

 

また個室に逆戻りになった。
1日、丁寧に看護してもらえた。
さすがに眠ることができなくなったので、携帯を持ってきてもらい時間をつぶした。

 

2月6日~10日
翌日、体調も復活し、ようやく大部屋に戻ることができた。

大部屋は4人部屋。意外とスペースは広い。
残念ながら天使に頼んだ窓際ではなかったけれど、閉塞感を感じることはなかった。

絶食にも慣れてきた。口に水を含めばのどの渇きは潤うし、まったくお腹がすかない。
栄養剤の点滴が身体をまわっているとそうなるのだろうか?
4日間の絶食をあれほど怖れていたのが、実際はなんてことなかった。

 

オットは毎日洗濯物を持って見舞いに来てくれた。
うちの中がピカピカだとか、昨夜の食事は何を作ったとか、猫の話を面白おかしく聞かせてくれる。
たまたま、コロナ騒動以前から会社がテレワークを推進しており、週1,2の出社ですむという好条件が重なって、ありがたいばかりだった。
それにしても、オットに下着や着替えを持ってきてもらうことになるとは。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


術後4日。すでに痛み止めの点滴が外れ、尿道カテーテルがこの日はずれると、だいぶ身体が楽になった。
毎日少しずつできることが増えてきた。この日は自力でトイレに。
そして待ちに待った回復食。
蓋を開けると文字通り、おもゆ、だった。2,3口しか食べられなかったが、それでも口から食べ物が入れられるようになった。素晴らしい。

 

Mちゃんが入院前に送ってきてくれたフラワーオブライフの塗り絵も始めた。
Mちゃんは外国製の色鉛筆と金銀のペンまで用意してくれた。染みるな〜
じかに描くのはもったいないので、何枚もコピーをしてそれに塗り絵する。
夢中になって塗り絵をするとそれはある種の瞑想状態になり、とても気持ちが落ち着いた。
本もたくさん読んだ。入院中ゆっくり読む心づもりで、がんに関する本を買い漁っていた。
特に退院後、どんなふうに食事に気をつければいいのか、どんな心持ちでいればいいのか。
そんなことが知りたかった。
そしてさらにありがとう、なのは、Tちゃんは手術中から私に遠隔ヒーリングを送ってくれていた。
私は全身麻酔だからもちろんわからないけど、エネルギー体ではしかと受け取った。

 

院内をそろそろ歩けるようになると、同室の同年代のT中さんが富士山が見える絶景の場所を教えてくれた。
また、エレベーターホール前に東向きに大きく窓を取ってあり、朝日を見るのが楽しみになった。
ビルの谷間から昇ってくる神々しい朝の光。生きる力がみなぎってくるようだった。
私だけではなく、何人かの患者さんが朝日を見に来ていて、ベンチに座って世間話もした。
ふっとベンチの下を見ると、白い羽根が落ちていた。
うん、まあね、今ダウンジャケットの時期だし、白い羽根落ちてても不思議じゃないよね。
でも私は天使からのサインと受け取るよ。ありがとね。

病棟は完璧に外に出られないようどこもかしこも鍵が掛かっていた。
外の空気を吸いたいと言ったら、今はコロナ感染が怖いから外には出ないほうがいいですよ、と看護師さんに言われる。
そういえば、見舞いもご遠慮ください、と注意書きがあったが、見舞客には病棟は目をつぶってくれていた。
息子が2回ほど見舞いに来てくれた。何を思ったか、差し入れは『えんぴつで風姿花伝』。ありがたいありがたい。
入院中はじっくり読む余裕がなかったが、今パラパラページをめくるとなかなかいいことが書いてある。

娘は週末訪ねてきてくれた。口数の少ない娘だが、とても心配しているようだったので、元気になったよと伝える。

 

日一日、回復していくのがわかった。
食事が3分がゆ、5分がゆと変わっていく。量が多くて食べきれない。その間におやつが2回もある。
食いしん坊の私もさすがに半分も食べられずに終わる。おやつも手付かず。
看護師さんに量を減らしてほしいと言うと、一人分だけ減らせないので残して全然かまわない、とのことだった。

 

シャワーも入れるようになった。 
入れるようになって2回目のシャワーの日。
下着を身に着けようとして、畳んであった下着を広げたら内側に白い小さな羽根が刺さっていた。
もう1回言うね。白い小さな羽根が下着の内側に刺さってた。
一瞬、え?となったあと、あはははは! 
思わず声を出して笑ってしまった。
ありがとう、天使たち。ずっとついててくれてるんだよね。
入院中、手術前からずっとついていてくれる天使たちが
「ちゃんとそばにいるよ、安心してね、大丈夫だよ」
というサインを送ってくれたのだ。
今思い出しても涙がにじんでくる。
ほんとうにほんとうに、ありがとう♪♪♪

 

 

リアルな天使たちもありがとう。
聖母マリアとヒラリオンを送ってくれたMちゃん。
毎日遠隔ヒーリングを送ってくれたTちゃんとSさん。
そして優しくて辛抱強くて優秀な白衣の天使たち。
同室の人はT中さんが退院した後はお年寄りの方だけになった。
ナースコールで呼ばれるたび、看護師さんたちはてきぱきと、時には諭すように頼まれごとを処理していく。
車いすへの移譲、着替えなどすべて面倒を見る。
私にはできないなぁと尊敬の念を覚えた。
本当にありがとうございます。

 

手術後、T先生からの説明を今か今かと待っていたが、まったくなかった。
毎朝回診はしてくれるのだが、私の顔だけ見て安心して立ち去るという感じ。
大学病院の教授のように後ろに3人くらい従えて。
ということをオットに言ったら、こんなことを言ってきた。
手術終了後、T先生から家族に説明があったそうだ。
切除した胃を見せてくれ、胃壁の裏側にまで腫瘍が浸潤していた、と。

それを聞いた時、ステージ4は間違いない、転移もしている。
抗がん剤治療をしっかり受けよう、とある意味腹が据わった。
覚悟が決まった。


10日は抜糸の日だった。T先生の下で働く女医さんが抜糸をしてくれた。
抜糸と言ってもホッチキスで止めてある針を、一つずつ取るというのが正確な表現だけれど。
外し終わってから、元気そうだから13日あたり退院でもいいのではないかしら?と仰った。
退院はT先生によると16日。
そんな早くいいの?? やった! 


がんと向き合う⑦へつづく

 

 

最後までお読み下さり、ありがとうございます。

あなたはいつも愛され💖護られて✨います

これからの24時間が、愛と光と調和と豊かさに満たされた素晴らしい1日となりますように🙏

そしてそうなりました✨予祝✨