はっぴぃソフィエル🌈always with you!

天使👼大好き主婦が日々の出来事をつづります。

がんと向き合う③ 入院前の日々

”はっぴぃソフィエル🌈"にようこそ♪


がんと向き合う②のつづき

さて。

入院と決まったら、やるべきことが山ほどあった。
胃がんと分かっても普通に動いている限り、入院までの予定はキャンセルせずこなしたかった。

 

1月15日水曜日。

がんが確定した次の日は私がやりたくて主催した目白ツアーだった。
カテドラル聖マリア大聖堂とお向かいの椿山荘を訪ねる小さな旅。
少人数で楽しかったし、なにより聖母マリアからのメッセージがとても励みになった。
教会の入り口に献金箱があって、そこに献金すると小さく丸められた紙を受け取ることができるようになっている。
神社のおみくじのようなもの。
私が選んだ紙にはこう書かれてあった。

―祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります―

うわ~~。うれしいありがとう、聖母マリア様。
でもそのとき何を祈ったか全然覚えていない。手術がうまくいくように祈ったのかな? 
少なくとも延命はお願いしてないような?(笑)
いつものように、愛と調和の人になれるよう、ジャッジを手放せるよう祈った気がする。


次は、子供たちに知らせること。
一人暮らしをしている娘に大事な話があるから週末は帰ってきなさい、とラインした。
ただ事でない気配を感じたのか、素直に帰ってくることになった。
同居している社会人1年目の息子は、家の中の慌ただしさを察知していて、「どうしたの?」
と聞いてきていたので、「ちょっと悪いところが見つかって病院に行って検査している」とだけ伝えていた。 

 

家族会議は1月18日土曜日の夜。
私は重い口を開いた。
「おかあさん、青天の霹靂なんだけど、胃にがんが見つかってね。2月3日に入院してその次の日手術だって」。

普段クールで、あまり表情を見せない娘が「え?」と言った。
「ほら、ちょっとメスを入れる腹腔鏡だっけ?あんな感じの手術?」
「ううん、意外と大きかったから3分の2切るんだって」。
息子は、胃切除3分の2と聞いて涙を浮かべてうろたえる。
姉弟の違いがちょっとおもしろい。

次の外来でどのくらいのステージか分かる、ということを伝えた。
手術日には付き添ってくれることになった。


私は2月11日にセミナーを主催することになっていた。
お次は、その講演者であるMちゃんに伝えないといけない。
それと、私の代わりにセミナーのサポートをTちゃんに頼まないといけない。
Tちゃんは近所なので、ランチを一緒に食べながら、軽いノリで言った。
「今度ね、2月3日から2週間ほど入院しないといけなくなって。セミナーのスタッフをお願いできないかな?」
「「あらま。入院? どこが悪いの?」
と聞かれて答えられなかった。
「うん、手術するんだけど、たいしたことないの」。
久しぶりに嘘をついた。
それで察してくれたのか、それ以上は聞いてこず、サポートを約束してくれた。ありがたい。
Mちゃんには、直接会えなかったから電話で伝えた。
主催者なのにいられなくてごめんねということと、参加者は必要な人が集まってくれるということと、
心配しなくて大丈夫だから、ということを。
「え~、大丈夫?どこなの?手術するところは?」と聞かれたけどやはり答えられなかった。
「大丈夫よ~。天使がついててくれるから」と答えるのが精いっぱい。
Mちゃんが心配してくれているのが手に取るように分かったけど、胃がんだとは言えなかった。


1月19日日曜日。

千葉の麻賀太神社、天日津久神社参拝のツアーだった。
これもとっても楽しみにしていたので、キャンセルはしたくない。
我ながら顔色が悪かった。よく頑張って参拝したよね。
この日は、天日津久神にとても歓迎されている気がした。お天気も良く、撮る写メによく光が入り込んだ。
素晴らしい仲間たちと素晴らしい旅の1日となった。

そうそう、極度の貧血だそうで、体力がなくなっているのは感じていた。
それまでは極力駅の階段を上り下りしていた私が、
エスカレーターやエレベーターを目で探すようになっていたのだから。

翌週は3回も病院に行く予定になっていた。
1回目が入院手続き。2回目が入院前の外来。
3回目はMクリニックで、念のため大腸に転移していないか調べるため、内視鏡を受けることになっていた。

なのでいろんな予定をキャンセルしたけれど、奇跡的に月曜のKさんの整体だけは変更なく行けるのが助かった。

 

1月20日月曜日。
私はKさんに会うなり、
「先生ごめんなさい、ちゃんと身体を整えてくれてるのにこんなことになって」
というと
「そんなこと全然ないですよ」
と言いつつ、私の身体にやさしくに触れた。
「やっぱりないわ」
「ん?」
「あのね、私、見落としたかと思ったけど、がん患者さんは身体のある部位にがん患者さん特有のものが必ずあるはずなんだけど、みやこさんにはそれがないの。
それとね、がん患者さんが必ず持ってる不安とか怖れが全くないわよ」

やっぱりそうか。
私、なぜかわからないけど、不安や怖れをあまり感じていなかった。
感情に蓋をしているのかと思ったけど、Kさんのお墨付きをいただいたから怖れや不安を抑圧しているのではなさそう。
多分鈍いからだと思ってたし、今でも思っている。
その鈍さのために人を傷つけてきたこと数知れずだけど、それがいま私にいい作用をしてるなんて面白いなぁ。
他人事のようにとらえていて、いい言い方をすれば、ハイヤーセルフが上から3次元の私を見下ろしている感じ。

Kさんはとっておきの情報を教えてくれた。
「もし私が万が一がんになったら、受けたいなと思っている代替療法があるの」。
とても興味深い療法だった。
さっそく予約を取るため、IクリニックにメールしたらH先生からすぐお返事が来た。
ちょうど1週間後に診ていただけることになった。

1月22日火曜日。
入院手続きと口腔外科と呼吸のリハビリだった。
午前中の病院はごった返していた。
コロナがはやり始めたころで誰もがマスクをしていた。
呼吸のテストでは通常の7割しか空気が吸えてないことがわかり、愕然とした。
こんなに体力落ちていたのだね。
口腔外科では丁寧に口の中を見てもらえ、手術時に虫歯菌が体内を駆け巡ることもなさそうでほっ。
入院手続きはとても丁寧に説明してもらえた。受付ブースが安定の4ブース(笑)。
結局3箇所まわって帰宅は午後。
健康な人でもぐったりすると思うが、私も体力を消耗した。
それでもオットが車を運転し、荷物も持ち、会計の列にも並んでくれて大助かりだった。ありがとう。お会計に長~い行列ができていて、そのほとんどは患者さん本人らしい高齢者の方たち。どれだけ疲れるだろうか。
何とかこのシステムは改善されないのかな?ベンチに斜めに座りながらそんなことを思った。

家に帰って入院行程表をじっくり読みなおして、そこで初めて不安が湧き上がってきた。
術後4日間絶食。うわ~、これ耐えられるんだろうか?お水は翌々日から飲めるみたいだけど。
食い意地の張った私は手術より絶食のほうに不安が出てきた。今思えば笑い話だけれど。
その晩夜中に、はっと目が覚めてがばっと起き上がった。そろそろ怖れが出てきたようだ。
大丈夫大丈夫。
怖れをゆっくり手放し、深呼吸。
大天使ミカエルとラファエルに前と後ろからハグしてもらって動悸を落ち着ける。


1月22日水曜日。
2回目の外来の前にS病院での内視鏡検査をT先生が行ってくれた。
Mクリニックでは、胃カメラを食道に通されたとき生理的な涙をぽろぽろこぼして何度もえずいたが、
T先生は、同じ太さのチューブなのかと思わず確認するほど、何の苦痛もなくするする入った。
あっという間に内視鏡検査が終わった。
この先生は相当な腕利きだわ、手術は安心できそう、と思った。

T先生は内視鏡の画像と先週の検査結果も見ながら淡々と話した。
思ったより胃の出口より内側にあったので、小腸でなく十二指腸につなぐことが可能なこと。
これで身体の負担がだいぶ違う。

貧血が良くなっていなくて、もしかすると輸血の可能性があること。
CTを見るとリンパ節の転移が多めであり、腹膜播種の疑いもあり、ステージ4またはステージ3Cであること。
術後は様子を見てすぐに抗がん剤治療を開始したいこと。
抗がん剤治療というと患者さんが抵抗を感じると思うのか、T先生は「お薬の治療」という表現を使った。
CTだけではほかの臓器に転移しているかどうかわからないので、肝臓などに転移している場合は、
手術をしないでそのまま閉じる可能性もあること。
エビデンスはないが、術前から抗がん剤を1週間前まで飲むと予後がいいという結果がある。
「どうしますか?」と聞かれたので「はい、飲みます」と答えた。
副作用があればやめればいいだけのこと。
あれこれ言われる抗がん剤だけど、感謝して飲もう。


体力の低下はあるものの他に痛みがない私は、ステージ4なのがぴんとこなかった。
ステージ4って末期がんのこと? 骨にも転移していないし、いたって元気ですが。。。


次、T先生に会うのは手術の前の日だ。


23日翌日は、1日雨で寒い日だった。
本当なら私がボランティア活動をしている団体の、とあるセミナーに参加する予定だったが、とても行けそうにない。
事情を知らない人は、あれだけ行くと約束していたのに、と思っただろうが致し方ない。
私は、ボランティア活動をしているお店の店長だけには事情を話していた。
店長は声が出ないほど驚いていた。
「こんなに元気そうなのに。でもそういえばみやこさん、ここが(と胃を指しながら)とコンクリートのように固い、って言ってたよね」
私はまるっきり覚えていなかったが、言われてみて思い出した。
ただでさえ人手不足のボランティアの現場。年度末はいろんなイベントがあり、さらに大変なので申し訳ない。
そのほかにも2,3やっていたボランティア活動をすべて3月いっぱいお休みさせてもらうことにした。

 

1月24日金曜日。
Mクリニックで大腸の内視鏡検査を行う。
朝一番から始まり、思ったより早く済みよかった。大腸には転移がなさそうとのことでほっとする。

 

1月26日日曜日。
この日は実家に顔を出すことになっていた。
父の八回忌を家族だけで2月9日にやる予定が、入院と重なったので、どうしても母と妹弟に変更を頼まざるを得なくなったのだ。
もしこれがなかったら病気のことを伝えなくて済んだのだが。
先に父のお墓参りをし、それから実家に行き、お仏壇にもご挨拶。
「お父さん、手術の時見守っててね。まだそちらに行く予定はないからよろしく!」

T先生に柔らかい消化のいいものを食べるように言われていたが、言われなくてもお粥のようなものしか食べられなくなっていた。
母が心づくしの?お粥を作ってくれていた。
妹も胃にやさしい料理を何品かつくってきてくれた。
私以外の家族は全員スピリチュアルなことに理解を示さず、変わった療法に手を出すのでは?と不信感を持っていたようだ。
母が念を押すように言った。
「ちゃんと先生の言うことを聞いて、ちゃんと出された薬を飲みなさいよ。Hさんのご主人も胃がんで手術したけど、90歳でまだ長生きしているからね。ちゃんと先生の言うこと聞いてやったからよ」。
なんども「ちゃんと」という言葉を繰り返した。
どんだけ私は「ちゃんと」してないねん(笑)。

私は西洋医学を敬遠しすぎて、レントゲンも取らなかったし、そもそも健康診断も何年も行ってなく、
こんなことになるまで胃がんが発見できなかった。
それにも大きな意味があると私は思っているのだが、そんなことを家族に納得いくよう説明もできなかったので黙っていた。
妹も弟もあまりしゃべらず、重苦しい会食だった。

 

がんと向き合う④へつづく

 

 

最後までお読み下さりありがとうございます。

あなたはいつも愛され💖護られて✨います

これからの24時間が、愛と光と調和と豊かさに満たされた素晴らしい1日となりますように🙏

そしてそうなりました✨予祝✨